皆さんこんにちは! 本日も知って役立つ情報をみなさんと共有していきます!
今回のキーワードは「放任主義子育て」についてです。

「知的特性やハンデがあっても、心豊かに育てたい!」

自主性や心の知能指数を表すEQが伸びると言われる「放任主義育児」。
知的ハンデのあるお子さんの放任主義育児は果たして可能なのでしょうか?

合理的配慮の支援ポイントと合わせて、放任主義育児を検証していきましょう!

avatar
都築
のびのび育ってほしいけど、要支援のうちの子を「放任」なんてできるんですか?
avatar
小野田
大丈夫です!気持ちが軽くなるポイントがありますよ。

要支援教育≒放任主義育児

要支援の子育て。
あなたは自分の子育てが質の悪い子育てではないかと悲観していませんか?

片時も目を離せず、走って追いかけて周囲に謝りまくる日々。
「放任」できるならしたい!と、嘆いたことも一度や二度ではないでしょう。

しかし、考えてもみてください。
そもそも知的特性を有するお子さんの多くは、自主的な心に即した対応でなければ言うことは聞いてくれません。

野菜がどうしても食べられず、野菜ジュースやスムージでで対応したり、むずむず足が辛い子のためにトランポリンの休憩スペースを準備したり・・・

こうして自分が救われた経験から、仲間に優しくできるようになる子はたくさんいます。
中学生ぐらいになると、そのような支援を受けた成功体験が自信に繋がり、コミュニティーでリーダーやサポート役になる姿が見られるようになるのです。

これこそが放任主事育児の目指す姿に他なりません。

放任主義育児の土台は自尊心

では要支援育児と放任主義育児のどこに大きな違いがあるのでしょう。

それは「自尊心」にポイントがあります。

「親と子」。
あなたはこの2者の間でどのような関係性を結んでいるでしょうか?

①あなたも○私も○
②あなたは○私は×
③あなたは×私は○
④あなたも×私も×

日本の社会の中で生きる中で、圧倒的に多いのが②です。
一見奥ゆかしくて良いのですが、実はこのパターン、どこかで③のように「相手を×」と言ってしまう危険性が高いのです。

それがよりによって親子関係で起こってしまう事が

放任主義育児で求められる姿勢は①の「あなたも○私も○」の一択です。

放任主義育児の親子関係は、「どちらかが×でなければ○が証明できない」というような考えではなく、「まずは自分が○だからあなたも○だね」というのが自然になる境地なのです。

少し難しいですが、せっかく要支援育児を頑張っているのなら、より心軽やかになるカードを持っていなければもったいない

以下で取り入れ方を検証していきましょう!

avatar
橋口
自分が優しくされた経験があるから優しくなるって分かる気がします。
avatar
小野田
そういう経験も自尊心向上に大きく影響しますね!

「放任主義」と「ほったらかし」と「管理型」

混同されがちですが、「放任主義育児」と「ほったらかし育児」は違います。そして、「ほったらかし育児」と対極となる「管理型育児」。

「放任主義育児」を理解するために、今回はこちらの育児のスタンス3種を具体的に見ていきましょう。

ほったらかし育児

いわゆる「ほったらかし育児」と言われるものは、ネグレクトのように、子どもの心身の成長に無関心な状態に陥りやすいようです。

以下に一例を挙げましょう。

目の前で子どもがお友達にトラブルを起こしても、保護者である親が我関せず・・・
手も上げないし、きつい言葉もないのに、遠回しに子どもへの虐待に繋がっているケースがあります。

実際そのような育児をされる方のお子さんは、学童期を過ぎても謝る事が分からなくなってしまう場合が多いです。
他の大人に怒られたり嫌われてしまうことで、自分1人が親の無関心を背負うという、過剰な傷を負うことに繋がってしまいます。

子どもへの無関心は家の中でも。
お菓子やおもちゃを与えっぱなし。
受動的に刺激が入る動画やゲームを与えるだけになってしまうなど。
これでは健康的な生活が営めません。

また、好きなものに好きなだけはまる事が才能に繋がるとの考えもあります。
一理ありますが、社会性や健康的な生活を無視して過剰に偏らせるのは賭けでもあります。
そして、大抵その賭けによって失うものは、子ども自身が責任を取ることになるのです。

しかし多かれ少なかれ「ほったらかし」の状態というものが全くない育児なんてあり得ません

ルールも大切ですが、時に無限YouTubeを許す事も場合によってせざるを得ないときもあります。
そのようなときはそれがベストであったと考える余地も必要です。

管理主義育児

いわゆる過干渉やヘリコプターペアレント。
関係性では「あなたは×」という気持ちです。
自由なお絵かきが許せない。
服や持ちもののセンス。
付き合うお友達。
顔や身体の特徴や性別に至るまで・・・

極端ではなくとも、親が子どもを「管理」してしまいそうになる罠は至る所にあると言えます。

管理型は、親の強い関心が注がれていますが、子どもの個々の育ちの特性や心の成長、自発的な思いには目が向きにくくなります。

このような過干渉は、ほったらかしよりも直接的に子どもの心を支配します。
支配される子どもは心の垣根(ボーダー)を破壊されながら成長します。

そのように成長した場合、ネグレクトをしのぐ明確な対人関係の生きづらさとして、青年期以降の人間関係に影響を及ぼす可能性があります。

さらにそれが親から子へ連鎖していく可能性もあるのです。

放任主義育児

「放任主義」は、適切な対応の元に子どもの「主体性を放任する」という意味で、そう呼ばれます。

放任主義育児の親の役割は、子どもの絶対的な安全地帯であり、社会への適切な橋渡し役です。

安全、社会のルール、生活習慣、学習習慣、好奇心や想像力・・・

これらの枠組みを家庭の中で行い、放任するかのように子どもから距離を置きます。

子どもが自主的な生活ができるよう、環境を整える理念は、古くは自由保育のモンテッソーリ教育に始まります。
モンテッソーリ教育の環境設定では、子どものサイズのトイレ、子どものサイズの掃除道具、子どもが自由に創造できるシンプルな恩物(おもちゃ)などを整えます。
こうして子ども自身が使いやすく、安全で、自由に創造する力を発揮できる設定を準備するのです。

さらなるこだわりは、子どもに割れる食器を使わせるという点にも。
落としたら割れる事を知っていると子どもでも丁寧に扱うことができるという考えからです。
このように、子どもを過度に子ども扱いしない事も一つ姿勢の表れです。

avatar
都築
生活環境の設定の考えは要支援育児と共通ですね!
avatar
橋口
子どもの特性や能力に応じて取り入れたいですね。

放任主義育児における心の成長

「放任主義育児」では、環境を設定するだけではなく、子ども自身に生活の一つ一つの問題について「どうすれば良かったと思う?」といった、自分の考えを促す問いかけをします。
そのような子どもの心と考えを尊重する背景には「自尊感情を守る」という絶対的な立ち位置があります。

前述の管理主義育児と比べればわかりやすいでしょう。

「どうしろこうしろ」と指示通り動かす事で心をしつけるのではなく、子どもを1人の人間として尊重し、その心の「垣根」を守るのです。

この放任主義の理念は、養育者自身が自分自身の垣根を尊重された経験から生まれます。

ところが、日本人の平均的な自己肯定感はデータによると50%程度と言われています。
本当にこの育児が自然にできる人というのは限られているのです。

諸外国と比べて,自己を肯定的に捉えている者の割合が低い。(図表1,図表2)

内閣府 特集 今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの~

しかし、そのエッセンスを取り入れる事で、親自身が自尊感情を取り戻す機会になる事は素晴らしい値打ちがあるでしょう。

放任主義のデメリットとしてあげられることは、社会に出たときに「わがまま」「生意気」とのレッテルを貼られる可能性があることです。

何も悪いことではないのに理不尽ですが、そのような状況に備えて親子で話し合うことが大切でしょう。
家の中はいつでも子どもの心を守れるようにしておけば、いずれ、その波風も自分で乗りこなせる大人になるのではないでしょうか。

avatar
橋口
心の垣根を破壊される事で「自分は×」という考えになる・・・それが自尊心の低下につながるって事だったんですね。
avatar
小野田
その通りです。それが育児の無駄なエネルギー消費になっていたのです。

要支援育児に自尊心を

特別支援の理念は「人間教育」とも言われ、「いつでも」「どこでも」「誰にでも」通じる考え方です。

しかし、様々な特性に応じた支援をするとき、まるでヘリコプターペアレントのようになってしまっている気持ちにもなります。

「親の手を離れて世の中で生きていけるようにする教育」という点では、同じなのに全然放任できない・・・

それができないのはやはり、特性に応じた根気強い支援が必要であったり、自主性を促す問いかけも、理解に時間がかかる事などの理由があります。

自主性をサポートするための「管理」ではありませんが、根気強い見守りが必要なのは確かなのです。

要支援育児は、ただ愛や枠組みが必要なだけではなく、親や養育者は「人」として、柔軟に管理もするし、時にほったらかさざるも得ないし、様々な状況に応じて最大限の技術を投入する育児なのです。

子育てを通して自分を愛し直す

「放任主義育児」の原動力は養育者自身の自尊心であり、目標は自分のように他者(子ども)を尊重できるようになる事です。

先にも述べたとおり、日本人の自尊心は50%程度。先進国各国は80%、お隣韓国でも70%である事を考えると、いかに低い状態かが見えてきます。

この数字から、我々日本人が「放任主義育児」を実行する事は未知への挑戦であると言えます。

私たちは多かれ少なかれ「自分を低めなければいけない」と、心の垣根を壊されている部分が必ずあると言えるでしょう。
その心の傷が、自分の大切な子どもとの関係に影響を与えていることが、どこかで現れている事に気づく必要があります。

子どもへのいらだちを感じたとき、実は自分もかつて同じような場面で大人からいらだちをぶつけられた事はありませんか?

余力があれば、そのような経験と今のいらだちに繋がりがないか、自分の心を観察してみてください。
あなた自身が、自分の垣根を破壊されてきていたのだと気づくとき、子どもの子どもらしさを責める気持ちがすっと手放せる瞬間があるかも知れません

avatar
都築
そういえば、自分が昔怒られたのと同じように子どもを怒っちゃうんですよね。
やめられない自分をすごく責めちゃいます。
avatar
小野田
そうなんですね。
もう、それ以上自分を責める必要はないですよ。
そのほとんどは都築さんのせいではなかったんです。
avatar
都築
うう・・・
私も子どももそのままで良かったんだ・・・!(泣)

自分を愛し直す事ができたら、「この子はこのままではいけない」といった、恐怖や執着を手放す事ができるようになります。

そうして初めて子どもから適切な距離を保つことできるようになるのです。

・・・定型発達の場合、ここまで来れば放任主義育児の難易度はぐっと下がります。

要支援育児ではある程度、管理に近い見守りに労力が費やされますが、自分の人生と子どもの人生に一定の距離を取ることができる境地は、見える世界が変わることでしょう。

まとめ

いかがだったでしょうか?

要支援育児そのものが放任主義育児に繋がる部分と、さらに養育者の心を軽くできる可能性がある事が見えてきました。

子どもと健全な心理的距離が取れると、親自身の人生も救われるような気がしますね。

以上が要支援育児における、放任主義育児の実行ポイントでした。