皆さんこんにちは!本日も知って役立つ情報をみなさんと共有していきます!今回のキーワードは「発達障害 昔はいなかった」についてです。
みなさんも「昔は発達障害の人がいなかった」と言う噂が本当なのか、気になりませんか?この記事ではその答えや発達障害の歴史について、ご紹介します。ぜひ、最後までお読みください。
目次
「昔はいなかった」と言う噂は本当?
結論から言うと、昔も発達障害の人はいました。昔は「発達障害」という言葉が存在しなかったため、障害の定義も共通認識もありませんでした。ただ単に、周囲からは「変わった人」などと思われていたことでしょう。
発達障害と言う言葉が日本に入ってきたのは、1987年にアメリカ精神医学会で「発達障害」という言葉が発表された後になります。その後2000年代に入り、メディアなどでも取り扱われるようになり、見聞きする機会が多くなりました。
世界での研究が進む度に医学会での理解が進み、診断技術も向上しました。近年発達障害者が増えたと感じる理由には診断技術の向上が絡んでいるでしょう。
これらのことから、発達障害者が「昔はいなかった」と言われる1番の理由は、「発達障害」として認識されていなかったことと言えます。
発達障害に対する認識は?
発達障害に対する、昔の認識と現在の認識をご紹介します。
昔の認識
昔は発達障害と言う概念も言葉もなかったので、「何か変わった人」「落ち着きがない人」「乱暴な人」「礼儀のない人」などと思われていました。
戦前までは発達障害の人も病気や貧困など社会的に弱い立場の人達と同じ扱いにされていたそうです。攻撃的、常識から逸脱などの特性が強く出ると、治安を守るため取り締まりの対象にされることもありました。
障害者も健常者と同じよう平等に、と考えられ始めたのは戦後のことです。
現在の認識
現在、発達障害の人は国の方針で、保護をする対象になっています。発達障害者や家族に対し、教育や就労など、生活と社会での全ての面に対し保障や支援があります。
法律としては整備されつつありますが、差別問題や周囲の人の正しい理解など、ソフト面での課題もまだまだ十分とは言えません。
海外での発達障害に関する歴史
以下に海外での発達障害に関する研究や公的な発表などを紹介します。
1900年代 初頭 | イギリスの小児科医ジョージ・F・スティルが、現在のADHD(注意欠陥多動症)に近い子供の症例を紹介。 |
1918年 | アメリカでエコノモ脳炎が流行。その後遺症に、行動上の障害・自己制御の困難が見られたことで、衝動的・暴力的な行動の抑制障害やADHDのような不注意・多動性(過活動)が起こる原因は、脳の損傷であるという考え方が主流となる。 |
1933年 | アメリカの精神科医ハリー・スタック・サリヴァンが、知的障害を伴わない乳児期より持続する対人機能障害について、「精神病質の幼児」を発表。 |
1943年 | アメリカの精神科医レオ・カナーが「自閉的な早期幼児」を報告。 |
1944年 | オーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーによってアスペルガー症候群を報告。 |
1959年 | パサマニックらによって、後にADHDと呼ばれる微細脳障害 (MBD) との用語を発表。 |
1963年 | アメリカ公法の正式な用語として「発達障害」という概念が記述される。 |
1973年 | アメリカで障害者差別禁止条項が職業リハビリテーション法に挿入される。 |
1987年 | アメリカ精神医学会で「発達障害」という言葉を初めて発表。 |
1990年 | アメリカで障害を持つアメリカ人法が成立。2008年に改訂。 |
日本での発達障害に関する歴史
1900年代
1945年(昭和20年)8月に終戦を迎えました。終戦直後からGHQの日本への介入が始まり、日本国憲法に福祉が掲げられました。福祉が行政により提供されるシステムの原型が生まれたのはこの時です。
1970年に心身障害者対策基本法が制定されました。これにより、障害者の自立や社会参加を支援していこう、と国の方針として決まりました。その後精神障害者や障害児童に関する法律も制定され、改正を重ねてきました。
1994年には障害を理由とする差別の禁止や児童の権利を書き記した条約を締結しました。これは教育や雇用の面で個々の特性にあったサービスを受けられ、みんなと同じように好きな仕事に就けるという内容です。
そのため、発達障害者も充実した生活を送れるように徐々に変化していきました。
2000年代
2004年、発達障害者支援法が公布されました。施行されたのは翌年です。
見た目からは障害と判断しづらく、幅広い特性のある発達障害者については、明確な制度がなく、障害と認められない場合もありました。心身障害者対策基本法では保障が受けられないことがあったのです。発達障害者支援法により、個々に合った支援を早期から早期から受けられるようになりました。
2013年に障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律が公布されました。
2016年、発達障害者支援法が一部改正されましいた。これにより発達障害の早期発見だけではなく、大人になってからも継続的に支援する、差別などの社会的障壁の除去をするなどが含まれました。
この法律において「社会的障壁」とは、発達障害がある者にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。
引用元:文部科学省 特別支援教育について
そもそも発達障害とは何かを知りたい人は、こちらの記事をどうぞ。
海外で現在の発達障害に関連する症例が発表されると、後を追う形で日本でも医学会にも広まり、日本でも診断されるようになっていきました。
発達障害など精神医学の診断は、アメリカ精神医学会での発表が基準になっています。アメリカ精神医学会で初めて発達障害が発表された1987年以降、日本にも発達障害という言葉が入ってきたのです。
2000年代になり、ようやく発達障害に特化した支援対策が施行されました。
今後の課題は?
正しい理解が不十分
発達障害は外見で判断できません。更に症状も個人差が大きく、大変分かりづらいものです。そのため、行政・企業・民間いずれも理解が不十分の状態です。理解がされないと、発達障害者への差別など不利益を被る可能性が残ります。
例えば、いじめが原因で不登校になってしまう、職場で能力不足と判断されてしまったり、対人関係で悩んでしまったりで退職してしまう、などが挙げられます。
家族に対しても、身内でさえ理解が得られず心無い言葉を掛けられたり、周囲の人が気を遣い過ぎて逆に壁を感じてしまったりもします。周囲の人間関係に疲れた時は、こちらの記事も参考になります。
本人・家族に対する支援が不十分
発達障害者本人だけが療育やサポートを受けられるのは勿論ですが、1番身近な存在である家族にも負担は大きくかかります。
・療育が受けられる施設が近所に無い
・身近に相談できる人がいない
・グレーゾーンのため診断がつかず、支援が受けられない
各関係機関の連携が不十分
発達障害者への支援は、精神科や小児科などの病院、保健センター、発達障害者支援センター、市役所や自治体の窓口など、様々な関係機関で受けられます。しかし、各機関での連携が不十分であり、二度手間になったり、たらい回しにされたと感じてしまったりがあります。
まとめ
昔も今も発達障害の人はいました。徐々に人々の間で認知され、法整備が進み、支援の輪が広がりました。それにより、社会の中で生活しやすくなってきたのは事実です。しかし、まだまだ解決されていない不十分なところはあります。
2016年に法改正がされてから既に6年が経ちました。様々なことが多様化する現在、新たな課題も出ていることでしょう。国の決まりとして法改定がされるまでには、長い時間がかかります。
現在も発達障害で悩みや不安を抱えている人はたくさんいます。発達障害について他人事と思わず、多くの人が正しい理解を得ることが大事になってくるのではないでしょうか。全ての人が自分らしく生きていける世界になることを願います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。